きっと、タブーではない話。

夫は1人っ子。私も(亡妹は別として)1人。そして私たち夫婦には子供がいません。
私は第二次ベビーブーム世代だけれど...私たちと似たような境遇のご夫婦も、
少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

次世代誕生の望みを100パーセント捨てたわけじゃない。でも、
今は何よりも、ここにある日々の暮らしに感謝しています。
そして(気が早いって笑われるかもしれないけど)いずれ他人様にお世話になることを見通し、
今のうちから物質的にも身軽でシンプルな暮らしを目指しています。
(まぁ元々、物欲はあまりないんですけどね...笑)
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夫と、お互いの最期はどうありたいかって話を時々します。
夫も私も変にかしこまったりせず。後ろ向きな会話って意識も全くありません。
誰しも向かってゆく事だから、元気なうちにこそ話しておきたいと思っているんです。
そして最近は、親の気持ちについても、きちんと聞いておきたいと、強く思うようになりました。

一人が息たえた瞬間から、家族や親族はめまぐるしい慌ただしさに追われますね。
悲しみを心底で実感するのは、その慌ただしさがようやく落ち着く頃から。。
ここ数年、そんな慌ただしさや法要諸事の多さを何度も間近で見ていて...
自分の親の時には、私はどんな形で見送ることになるんだろうかと考えるようになりました。

けれどもこの類の話は、どちらかといえば避けたがる人が多いもの。私の親も、例に漏れず。
長寿への願いは娘として当然の事。これまで父が「死」に向かう話を避けたがる気持ちもよく分かりました。

けれど、いつなんどきどんな形で別れが来るやもしれません。
だからこそ、お別れの形ついての願いを聞いておけるならば、
娘として、こんなにありがたいことはないと思ったのです。
本人が望む形で最期を見送ることができるならば...
それが私に命をくれた親への、最後の親孝行になるはずだから、と。
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昨日、おじの一人とお別れをしました。
葬儀にて、生前におじがしたためていた手紙が読まれました。
数年前に書かれた、ご近所の方々へのお礼の手紙でした。

当たり前のような日々を、おじらしく1日1日淡々と大切に暮らす中で...
最期に向けて書かれた、感謝の手紙。どんな事を思いながらペンを握ったのかな。。
最期の最後まで、丁寧に人生を生き抜いたおじでした。

92歳、長寿でした。穏やかな寝顔にホッとしました。
90歳になるおばは、ずっと枕元で、おじに対する感謝の言葉をかけ続けていました。
私になんか想像できないほどの苦労を重ねた世代。
こういう別れの姿に立ち会えた私は、幸せだと思いました。

ここ2日、実家に二泊して久しぶりに、両親とゆっくり話しました。
自分たちの最期はどうありたいか、どんな形で見送られたいか。
ようやく父も、気持ちを語ってくれました。絶対に願いを叶えようと思いました。

自分の最期、身内の最期を考える。この話に、一緒に向き合えたこと。
とても、とてもありがたいことだと思いました。
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by Mizzypon | 2009-12-08 15:15


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